その1
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FM alexander
FM Alexander in 1894
タスマニア風景
Tasmania
 1世紀以上の歴史をこのテク二—クは歩んできました。

日本では明治維新の頃である1869年に、オーストラリアのタスマニア島で生まれたフレデリック=マサイアス=アレクサンダー氏。
このFM氏の「発見」を発端に、アレクサンダーテクニーク(アレキサンダーテクニック)は開発されました.。
創始者FM氏は若くしてシドニーとメルボルンでシェイクスピア舞台俳優として成功しました。売れっ子になり頑張りました。
ところがしばらくしたら、声がかすれるようになりました。最高の医師にかかっても、いろいろな手法を試しても、
治るどころか、ますますひどくなり、しまいには大事な舞台上で全く失声してしまいました。
専門家にかかっても原因さえ解明できない。こうなったら自分で見つけるしかないと、あきらめずに、自己観察を継続しました。
まったく手探りで何も分からない期間がかなり続いた後にようやく、自分で自分をダメにする動きらしきものを見つけました。
 頭をぎゅっと引き下げる、そんな動きです。

わずかな動きのために、そこに気付くにはかなりの観察眼が必要とされました。毎日何時間も自己観察を継続すると、やがて確かになってきて、この動きを「無意識」に「習慣的」にやっていると「発見」しました。特に大声でセリフを言う時に、自分ではやっているつもりが全く無いのに、鏡に映してみると、自分がやっているこの動きの度合いは増加していました。自分で自分を動かしているはずなのに、自分で動いている感じと、実際の自分の動きが違うなんて、そんなことは信じられなかったのですが、迷でした。その余計な動きが積み重なった結果として「様々な症状」が生じるのではないかと推測しました。
次の段階です。この動きに気がついたのだからやめればいいと。しかし、そう思ってやめようとすると、これがどうにもこうにもまったく困難でした。やっているつもりも無い動きであっても、理屈としては、実際に動かしているのは自分以外にいないのだから、自分でやめられるはずだと思い、やめようと「する」と・・・、今度は別の余分な動きをしてしまい、全体としてはちっともやめられない。動きをやめるにはどうすればいいのか苦しみました。
それでもなんとかして、どうすれば予防できるかを練習していくうちに、やがて、少しずつ新しい関係が可能になってきました。それには喉だけではなく、頭から順々につま先まで全身が変化する必要がありました。単に「身体」の問題というよりも、心身統合体として心も頭も身体も繋がって余計な動きをやめ、必要な動きが起きてくるような訓練を何年も続けました。
そうやってステージに返り咲いたFM氏は、以前にもまして素晴らしいパフォーマンスで喝采を浴びました。問題の表面化から解決まで10年にわたる産みの苦しみを味わいました。特別な「発見」から原理を導き出し、応用して自分自身で自分の問題を解決する手法を編み出した不屈の男FMアレクサンダー氏ということになりますか。19世紀末のことでした。
                        
 ・・・と、ここまでは他人にはどうでもいい話なのかもしれません。
 それにしても、この後の意外な展開は光明をもたらし、全人類に例外なく降りそそぎます。
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